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カンボジアの日本人町の存在が確認されない。朱印船貿易の時代の話(7月23日) |
カンボジアのプノンペン郊外にあったとされる朱印船貿易がおこなわれていた時代に存在したと思われている日本人町の調査がおこなわれた。現在残念ながらこの歴史的な話を証明する事実は全く発見されていない。
この歴史的な話は17世紀に今回の調査対象となった場所であるピニャルーのあたりにあったオランダ商館の記録にプノンペンとピニャルーの辺りに300人から400人が居住していたという記録に基づくものだ。今回の調査は奈良文化財研究所とカンボジア文化芸術省などからなる調査団が5日間に渡っておこなったものだ。
過去このピニャルーという場所からは伊万里焼の遺物が見つかっているが、これは所謂お土産とか工芸品とか今では呼ばれるような貿易品であったようで実際にここでの生活に使われたとは考えられるような証拠となるようなものではないようだ。またその他に痕跡となるようなものは全くなくこの歴史が実地で検証できるようなものは全くないようだ。この調査は2年目のようだがやはり17世紀の話というものはそう簡単に証明できるものではないということを物語っているのであろう。ただ問題なのは人数であろう。300人から400人という数であれば50世帯から100世帯までの間であるわけだから数としてはたいしたものではない。もし残るのであろうのだとしたら相当閉鎖的な村落を形成しているのか、全く違う文明を持つ地域として存在していたような状況でなければ無理であろう。閉鎖的村落であれば土着の過程でカンボジアの文化に吸収されてしまっていることも考えられすっかり溶け込んでしまっていることも考えられる。違う文化として存在していればこの人数では歴史の流れの中で消え去ってしまっていると考えるべきであろう。
カンボジアは9世紀から13世紀あたりが最も国力が強い時期であったと考えられている。当時カンボジアはインドシナ半島全域をほぼ支配しておりその他の国は全く存在していないかのような状況であった。この当時の文化(アンコールワットを中心とする)を築いたのがこの当時のアンコール王朝なのである。ところが13世紀にはいりタイ人が居住していた地域を中心に当時のジャヤーヴァルマン7世が崩御した際に一気にタイ人の勢力が強まりカンボジアは全く弱い勢力となってしまうのであった。19世紀に入り欧州列強による世界各地の植民地化により(今、考えるととんでもない歴史だ)カンボジアも例外なく植民地化されフランスの支配下に入ってしまう。話はそれるが地獄の黙示録の特別完全版にカンボジアにフランス人家族が王国のように存在した場面が登場しこの歴史を裏付けるような話をしている。1953年にカンボジア王国として独立。その後クメール・ルージュ政権に実権を握られ近年になって民主化を果たすまで自国内での虐殺が繰り返されていた。そのために国民の多くが傷つき、かなりの文化遺産が破壊されている。クメール・ルージュは親中国の政権。要するに当時世界各地にいた共産ゲリラが強大な力を持ったものと考えられる。くだらない思想で人が傷ついた典型的な例である。
現在は国連の力や各国の強力の元に国の再建が進みつつあるが内戦がおこなわれていた当時の地雷の問題が国内の非常に大きな問題として残り、また特定の場所以外ではこの内戦がおこなわれていた当時の重火器がいまだ残っていることがありアンコールワット辺りやタイ、ベトナム国境周辺ではまだまだゲリラが存在している。国内はいまだ悪夢から逃れたばかりなのだ。そこに王様気分で乗り込む観光客の気持ちは全く理解できないのだが、現実のカンボジアの現実を考えるとまあお金を落とす事になるから文句言うよりはましなのかもしれない。まだまだ国際的な助けが必要な国なのであろう。というわけで調査団が行くことはカンボジアの人にとっては喜ばしいことだろうし同じ仏教国としての親近感を強めるためにも結構良い事なのかもしれないと思う。早く平和と心の安息がこの国にやってくる事を心から祈りたい気分だ。 |
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